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好き勝手生きても案外大丈夫。理想の変人・盛親僧都に学ぶ世渡り

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どうも、森です。

今回はちょっとオピニオン的な内容です。

 

一見好き勝手生きているようでも「あいつはそういう奴だから」という感じで許されちゃう人っていますよね。

個人的には最強の人種の一つだと思っているんですが、実はこういう人、すでに鎌倉時代には居たようです。

今回は、徒然草 第六十段に登場する高僧「盛親(じょうしん)僧都」のエピソードをご紹介します。

芋頭好き過ぎ問題 

盛親僧都は古典によく登場する「仁和寺(にんなじ)」系列のお寺「真乗院」の

高僧だったようです。

ですが、話の初めに出てくるのは性格や業績ではなく好物のイモの話です。

真乗院に盛親僧都(じょうしんそうず)とて、やんごとなき智者ありけり。芋頭(いもがしら)といふ物を好みて、多く食ひけり。

談義の座にても、大きなる鉢にうづたかく盛りて、膝もとに置きつつ、食ひながら文をも読みけり。患(わづら)ふ事あるには、七日(なぬか)、二七日(ふたなぬか)など、療治とて籠り居て、思ふやうによき芋頭をえらびて、ことに多く食ひて、万(よろづ)の病をいやしけり。

人には食はする事なし。ただひとりのみぞ食ひける。

 

【現代語訳】

真乗院に盛親僧都といって、たいへんな高僧がいた。芋頭というものを好んで、たくさん食べた。

説法の席でも、大きな鉢にうず高く盛って、膝元に置いて食べながら仏典をも読んだ。 病気を患った時には、七日、十四日など、 療養だといって籠もり、思いのまま良い芋頭を選んで、とりわけたくさん食べて、あらゆる病気を治した。

他の人に食べさせることはなかった。ただ自分一人だけ食べた。

「芋頭」という聞き慣れないワードですが、どうやらコレはサトイモの親芋(根塊)部分のようです。

「他の人に食べさせなかった」とありますが、そもそも一般的に食用で売られているのは子芋の部分です。芋頭は別に上等な高級食材というわけではなかったはずですから、欲しがる人もいなかったのではないでしょうか。

まぁ説法の席で山盛り食べるのはどうかと思いますが。

芋頭好き過ぎ問題 その2

「やんごとなき智者」と称される盛親僧都ですが、メチャクチャ貧乏でした。

そこに師匠から遺産を相続するわけですが、使い途はもちろんイモ。

譲り受けた建物も売却して全てイモの購入資金に充てています。

きはめて貧しかりけるに、師匠、死にさまに、銭二百貫と坊ひとつをゆづりたりけるを、坊を百貫に売りて、彼是三万疋(びき)を芋頭の銭(あし)と定めて、京なる人にあづけおきて、十貫づつとりよせて、芋頭を乏しからず召しけるほどに、又、異用(ことよう)に用ふることなくて、その銭(あし)みなに成りにけり。

「三百貫の物を貧しき身にまうけて、かくはからひける、誠に有難き道心者(どうしんじゃ)なり」とぞ、人申しける。

 

【現代語訳】

きわめて貧しかったので、師匠が死に際に、銭二百貫と僧坊ひとつを譲ったのを、僧坊を百貫に売って、かれこれ三万疋の金を芋頭のお代と定めて、京都にある人に預けておいて、十貫づつ取り寄せて、芋頭をほしいだけ召しあがっているほどに、また、外に金を使うこともなくて、三百貫すべてを芋頭のお代として使い切ってしまった。

「三百貫の金を貧しい身に手に入れて、このようにふるまうとは、本当にめずらしい仏道精進のお方だ」と、人々は言った。

最後の「有難き」の解釈は人によって違います。個人的には「有り難い=珍しい」かな、と思っています。

「ありがたいお坊さんだと人々が感心した」ようなニュアンスで訳す方もおりますが、イモで全財産溶かした人に感心するってどうなのという感じもしますので。

当時と今は物の価値が違いすぎてレートを合わせるのは難しいのですが、1貫=100疋=1000文で、1文を30〜50円としても1,000万円以上をイモに費やしたことになります。

人にいきなり変なあだ名をつける問題

初っ端から癖の強い盛親僧都ですが、人との接し方もまさに自由人。

いきなり人に謎のあだ名を付け始めます。

この僧都、ある法師を見て、しろうるりといふ名をつけたりけり。「とは、何物ぞ」と、人の問ひければ、「さる物を我も知らず。若しあらましかば、この僧の顔に似てん」とぞ言ひける。

 

【現代語訳】 

この僧都が、ある法師を見て、「しろうるり」という名をつけた。「それは、何ですか」と人がたずねたところ、「そのような物を私も知らない。もしそのような物があったなら、この僧の顔に似ているのだろう」と言った。

いや、カンガルーの語源の話じゃないんだから。

しかも自分で名付けておいて「知らない」ってスゴイなこの人。

奇行も許されちゃう問題

イモが好きで人にいきなり変なアダ名をつける盛親僧都ですが、イケメンで力も強く、達筆で博識、しかも話も上手いというハイスペックな人物だったようです。

しかしそのスペックをもってしても奇行が目立ちます。

この僧都、みめよく、力強く、大食にて、能書(のうじょ)・学匠(がくしょう)、弁説人にすぐれて、宗の法灯なれば、寺中(じちゅう)にも重く思はれたりけれども、世をかろく思ひたる曲者にて、よろづ自由にして、大方人に従ふといふ事なし。

出仕して饗膳などにつく時も、皆人の前据ゑわたすを待たず、我が前に据ゑぬれば、やがてひとりうち食ひて、帰りたければ、ひとりつい立ちて行きけり。

斎(とき)・非時(ひじ)も人にひとしく定めて食はず、我が食ひたき時、夜中にも暁にも食ひて、ねぶたければ昼もかけこもりて、いかなる大事あれども、人の言ふ事聞き入れず、目覚めぬれば幾夜も寝(い)ねず、心を澄ましてうそぶきありきなど、尋常(よのつね)ならぬさまなれども、人に厭はれず、よろづ許されけり。徳のいたれりけるにや。

 

【現代語訳】

この僧都は容貌すぐれ、力強く、大食いで、字がうまく、博識で、弁舌にすぐれ、真言宗の中心人物として重んじられていたので、仁和寺でも重く思われていたが、世間を何とも思われない変人であって、あらゆる事を自由にして、人に従うことはまったく無かった。

法会などの席に出て饗応にあずかる時も、全員の前に食膳が行きわたるのを待たず、自分の前に食膳がすえられると、すぐに一人食べて、帰りたい時は独りで帰った。

僧として定められた午前の食事も、午後の食事も他の人と同じようには食べず、自分が食べたい時、夜中でも明け方でも食べて、眠たければ昼にも部屋にこもって眠り、どんな大事があっても、人の言う事は聞き入れず、目が覚めた時は幾晩でも寝ずに心を澄まして詩歌を吟じて歩き回るなど、普通ではない様子であるが、人には嫌われず、すべて許されていた。 徳が至高の域に達していたためであろうか。

これは盛親僧都もそうですが、周りの人もスゴいです。幾晩も寝ずに詩を吟じてウロウロされるとか迷惑千万でしょうに。「よろづ許されけり」って。

まとめ

いいキャラしてますよね、盛親僧都。どこまでも自由人な所は個人的に憧れます。

兼好法師も「こいつヤバイな」と思って徒然草のエピソードに入れたのではないでしょうか。なんでも専門家の間では「日本最古のアスペルガー症候群の事例ではなかろうか」という見解もあるそうです。

「好きなことをトコトン追求する」という姿勢は、突き抜けてしまえば案外許されるのかもしれませんね。

 

今回はここまで。