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「幸福な速度」で生きるということについて

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どうも、森です。

ちょっとだけオピニオン系の記事です。

皆さんは国語の試験問題の文章が思いのほか良い内容で、思わず見入ってしまった経験はありませんか?

試験問題の題材になるということは、基本的に「何か柱となるテーマ」があり「起承転結」がしっかりしています。文章としては良質といえましょう。

私自身、学生時代に塾講師として国語・英語を担当していたものですから「これは良い内容だなぁ」という文章にも多々出会ってきました。

今回は、その中のひとつをご紹介したいと思います。

旅をするのに一番良い乗り物とは

先日「旅をするには馬が一番である。なぜなら、それが人間にとって一番幸せなスピードだからだ」というフレーズを、ふと思い出しました。

これは映画監督である大林宣彦 氏の著書「ぼくの瀬戸内海案内」および「いまを生きるための教室 今ここにいるということ」内の「今僕たちは本当に幸せか」の内容の一部です。

これが私学の入試問題に使われていたようで、塾のテキストにも一部が掲載されていたというわけです。

かつてレオナルド・ダ・ヴィンチは、 A地点からB地点へ体を運ぶ乗り物としては 「馬が一番である」と言ったそうだ。

それは人間の一番幸福なスピードだから。 馬がなぜ一番幸福なスピードだったかといえば そこに人生があったからです。

「ぼくの瀬戸内海案内」 より引用

「幸福なスピード」とは何か

「馬が一番幸福なスピード」というのは、単に昔は馬が一番速い乗り物だったから…という理由ではありません。

大林 氏の主張は次のように続きます。 

今の時代はどこへ行くにしても、車や電車、飛行機を使う。便利で快適になり、スピードアップした。時間の無駄遣いもなくなり、効率の良い時代になった。

でも、その時いつも僕は思う。僕たちは人間にとって一番幸せなスピードで過ごしているのだろうか。だとしたら、僕たち不幸な暮らしをしているのではないか。

そう考えてみると、確かにそういう部分がある。僕は自分を不幸にしないために、飛行機に乗って時間を節約した分をいかに豊かに使うかということを考える。

「今僕たちは本当に幸せか」 より引用

文明の利器によって、今まで時間のかかっていた編集作業が1/3の時間で終わる。これについて大林 氏は「素晴らしいこと」と評しながら、次のように続けます。

残りの三分の二の時間は自分の好きな本を読んだり、音楽を聴いたり、絵を描いたり、あるいは親しい友達と会ったり、旅をしたり、そのような豊かな幸福な時間に使えるのなら素晴らしいのだが、なかなかそうはいかない。

「今僕たちは本当に幸せか」 より引用

確かにそうですね。世間一般の事務職にしても、文書作成の手段は手書きからタイプライター、ワープロからパソコンへ。

ひとつひとつの事務作業の所要時間は格段に減ったはずなのに、ニュースでは過労死が問題になっている。それは大林 氏のいう「幸福なスピード」とはかけ離れているように思えます。

「旅」と「幸福」

かつて人は馬に乗って旅をした。たしかに時間はかかる。不便も多い。

けれども、その旅の中で、人と出会って話をしたり、いろんな場所でいろんな食べ物を食べたり、あるいは日が照ったり、雨に降られたり、暗い夜があったり、星の輝きを見たり、風に吹かれたり、そういういろいろなことが旅をする人の人生の中に、心の中にどれだけ豊かな幸福感をもたらしてくれただろうかということを思い起こさなければならない。

「今僕たちは本当に幸せか」 より引用

とにかく何事も時短・効率化、空いた時間には何かスケジュールが入っていないといけないような気がする現代。若者が不便を楽しむように海外に旅に出たりするのは、案外こういう部分を皮膚感覚で理解しているからなのかもしれません。

まとめ

今やっていること、起きていることの全ての結果は虚無に帰結します。

何事にも「目的」「結果」を求めていては、やがてはそのスピード感が息苦しくなってきます。「旅」というものを「目的地への移動手段」として捉えていては豊かさを失ってしまいます。

結果を未来に求めるのではなく、やっていることそれ自体に充足すること。

月並みな表現になってしまいましたが、結果として「幸福な速度」で生きていくにあたって肝要なのは、案外そういった部分なのではないかな…と思った次第です。

 

今回はここまで。