向かい風参考記録

陸上競技 その他 いろいろ

フツーに考えて「面白いこと」を仕事にしている人って凄すぎませんか?

 またまたオピニオン記事で申し訳ありません。

どうしても道具レビューはキチンと書きたいので時間がかかってしまいます…。

 

新カテゴリ「思想」は雑記要素+日頃思っていることを書いていきたいと思います。

 

今日は、今の世の中で台頭している「面白い」について好き放題書きます。

 

 

 

「誰にでもできること」を「誰にもできないレベル」でやる難しさ


誰だったかな。糸井重里さんだったか。


「凄い人」にも種類があって
「誰にでもできるわけではないこと」をする人と

「誰にでもできること」を「誰にもできないレベルで」やっている人がいると。


例えば、スポーツのアジア大会がテレビ中継されていましたけれど

 

体操競技やセパタクロー、陸上競技でも棒高跳びなんて
メチャクチャ参入障壁が高く見えますよね。


これって「誰にもできるわけではない」ことだと思うんですよね。
それを非常に高いレベルでやっている。


一方、100m競争なんてものは
やろうと思えば多くの人は完走できるわけですね。


でも、見ての通り国際大会に出場するような選手の走りって
同じ100m走なの?というくらい洗練度が違いますよね。

まさしく「誰にでもできることを誰にもできないレベルで」やっていると。

 

 


「面白いこと」という基準の脆さ

 


私が最近
「面白いことを仕事にしている人は凄い」と思うのは、これがある意味

「誰にでもできること」に近いからです。


皆さんも今まで「面白いこと」をして人を楽しませた、
またはそうしようとした経験はありませんか?

 


間違いなく吊り輪やセパタクロー、棒高跳びに挑戦した
人よりは多いはずです。


加えて「仕事」というのは収入の得る手段である性質である以上、
コンスタントに結果を出さなくてはいけません。

しかし「面白い」というこの概念は、完全に水モノ。


場所、人、タイミングで価値基準が乱高下します。
このあたり、「面白いこと」と「仕事」は中々に反する概念なわけです。



「いやいや、そんなの音楽やモデル業、スポーツだって水モノじゃん!」

という意見も確かにあるでしょう。

それは理解できます。

 


でも「今日歌が上手い人」は事故にでも遭ったりしない限りは

「明日も歌が上手い」わけです。


でも「面白いことをやっている」人は

「コイツ実は面白くねーな」という烙印を押されてしまえば


たちまち凋落してしまいます。


「歌の上手さ」なんてものは一見水モノですが、
場所やタイミングでも価値基準が乱高下しません。

 


例えば、正に今ドンパチやりあっている戦場があったとしましょう


そのド真ん中で全盛時のフレディ・マーキュリーがでライブをしたとします。

もしかしたらフレディは射殺されてしまうかもしれませんが、


そのとき戦場にいた人々はこう思うわけです

「あいつ、イカレてたけど歌は上手かったな…」と。


では、チャールズ・チャップリンが戦場のど真ん中でパフォーマンスを始めたとしましょう。

果たしてチャップリンは射殺されてしまうわけですが、

そのとき戦場にいた人々はこう思うわけです
「あいつ、マジのイカレ野郎だな…」と。

 


上記は語彙と発想力が無くて下手な例えで申し訳ありませんが、

日本で大ウケしているギャグが海外で通用しない、なんてことは茶飯事。

 

「面白い」という概念は完全に水モノです。

 

しかも受け手の感性、価値観に大きく左右されます。

 

何とも不安定な概念に思えます。

 

 

 

それでも今の世の中は「面白い」に価値がある



しかし今、世界で最も勢いがあって価値のあるコンテンツって
この「面白い」なんじゃないかなと思うんですよね。

 


「interesting」「funny」「amusing」様々な形で
この「面白い」が価値を生んでいる。



「誰にでもできることを誰にもできないレベルで」
この「面白い」を提供している人がいるわけです。

 

 

ビデオゲーム分野でいうと、以前は

日本の大ヒットゲームは海外ではウケない」という話などもありました(逆も然り)

 

しかし、今は日本と海外の共通サーバーで大ヒットしているゲームも

爆発的に増えています。

 

 

何故でしょう。

 

 

以前、いくつかお笑いとAIの関係についてのネット記事を見ましたが、

少なくとも「お笑い」という分野での「面白い」は思った以上に複雑に成り立っているらしいこと、蓄積によって機械が人間に追い付く可能性があることがわかります。

 

 

www.asahi.com

www.sankei.com

 

 

「面白い」という概念は水モノである以上、積み重ねの蓄積が評価と直結しない。

そのような風潮がありしたが、

 

 

コンスタントに「面白い」というコンテンツを提供されつつある以上、

過去からの蓄積が開花しているわけですので

考えを改めなくては、と思う次第です。

 

 

 今後「面白い」はどうなっていくのか

 

私は社会学の専門家ではありませんので全く予想がつきません。

 

ですが、今後は国や宗教を超えた

「面白い」という概念が次々と生み出されていくことは

ほぼ間違いないでしょう。

 

しかも、アプリケーションがどんどん便利になっていますので

「発信する側になろう」と考えた時の参入障壁も無くなっていくと考えられます。

 

 

この「面白い」がこの先も爆発的に増え続けるのか。

それとも、どこかの時点で大々的な淘汰が起こるのか。

 

 

今後の「面白い」とそれを仕事にしている人々から目が離せません。

 

 

 

今日はここまで。