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現存する炭鉱遺産「旧住友赤平炭鉱立坑櫓」を訪ねる

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かつて、北海道内にはいくつもの炭鉱がありました。しかし国のエネルギー施策転換などの煽りを受け、その殆どが昭和末期までに姿を消しています。

現存する炭鉱跡は殆ど廃墟と化していますが、中には文化遺産としてこれらを後世に伝えようとする動きもあります。今回はそのひとつ「赤平炭鉱」を訪ねてみました。

概要

赤平市における炭鉱の歴史は、明治34(1901)年堀田連太郎によって開坑された滝川炭山・奈江炭山に始まり、下富良野線の開通(大正2(1913)年)によって開発が活発化し、赤平初の大型炭鉱茂尻炭礦開坑(大正7(1918)年)から住友赤平炭鉱編斬(平成6(1994)年)まで約100年間にわたって続きました。

赤平市炭鉱遺産ガイダンス施設内キャンプション より引用

最盛期には22もの炭鉱が同時期に稼働していたそうですが、なかでも主要な炭鉱として「茂尻炭礦(1918〜1969年)」「豊里炭鉱(1937〜1967年)」「赤間炭鉱(1938〜1973年)」「住友赤平炭鉱(1938〜1994年)」が挙げられます。茂尻炭鉱を除く3つは日中戦争の時期に開坑しており、高度経済成長期までの日本を支えた存在といえるでしょう。

このうち1994(平成6)年まで稼働していた「住友赤平炭鉱」施設跡地はガイダンス施設を通して見学が可能となっています。

アクセス・営業時間など

以下ガイダンス施設の情報です。

営業時間:9:30〜17:00
定休日:月曜・火曜(祝日開館、翌平日休館)
入場料:無料
※ガイド付見学は中学生以上800円、小学生300円

札幌圏からは車で1時間半ほど。そのまま富良野・旭川方面にも分岐できますので、アクセスは比較的良好です。ガイドツアーは1日2回(10:00〜、13:30〜)元炭鉱マンの方がガイドをされています。他にない貴重な機会なので、訪れる際は時間を合わせてガイドツアーに申し込むことをお勧めします。

ガイドツアーに参加してみる

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▲ガイダンス施設は2018年にオープンしたばかり

ガイダンス施設の受付でガイドツアーの申し込みを行います。定員40名とのことですが、行楽シーズンでもない限りは当日受付で大丈夫そうです。

ツアー開始まで少し時間があったので、施設内の展示を見て回りました。当時の写真や炭鉱稼働末期に使われたであろう閉山対策本部の看板などが展示されていました。

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▲全てが貴重な資料

程なくしてツアー参加者向けの講義が始まり、前知識や注意事項のアナウンスがありました。写真撮影可ですが動画はNGとのこと。

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▲ヘルメットは貸してもらえる

ツアーは全体約90分。前半は立坑やぐら、後半は自走枠整備工場の見学となります。

立坑ヤード

まず目を奪われるのが圧倒的な保存状態の良さです。1994(平成6)年まで稼働していたことに加え、赤平市が住友より所有権を委譲され管理していた事が要因でしょう。他の炭鉱施設跡が当時の権利者所有物のまま負動産化している現状とは対照的な在り方です。

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▲モノは当時のまま、見やすく配置されている

入って正面に見える立坑は、閉山までに約600m以上掘られていたそうです。それでもキャパとしては1,000mは掘削可能だったとのことで、この立坑はスペックをフル発揮することなく炭鉱としての役割を終えてしまいました。

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▲圧巻の迫力

それでも地下何百mという所に作業員を送り込むわけですから、エレベータは秒速約12mというウサイン・ボルトの最高速並の超特急だったそうです。 怖すぎる。

巻き上げ機室

続く2階の巻き上げ室。ここでワイヤーを巻き上げエレベータをの昇降をコントロールしていたそうです。こちらも所々雨漏りはありますが、フレームは頑強そのもの。

ガイドさんの説明によれば、この建物は当時「東洋一の炭鉱施設を作る」という理念のもと、東京タワー建設に携わった職位さん達を引っ張ってきて造られたとのこと。道理で頑丈なわけです。

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▲制御盤の保存状態も良好

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▲ところどころ自然に還りかけている箇所も

設置されているボードの日付なども当時のまま保存されており、まさに月日だけが経過した空間となっていました。

自走枠整備工場

こちらでは、当時使われていた大型掘削機などが展示されています。この辺りで早起きの反動で意識が飛びかけており、奥のドラムカッター(大きくてかっこいいやつ)を撮影し忘れてしまいました。

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▲意識が飛び飛びになりながら撮った何かの写真

大型の掘削機は坑道への搬入・運び出しに時間と費用がかかるため、閉山された坑内には今でも大型機達が鎮座しているそうです。

文化としての「炭鉱」を学べる

道内の炭鉱施設跡の多くがほぼ完全な廃墟と化しているなか、保存状態も良く、かつ合法に内部を見学できる貴重な施設です。今後「炭鉄港(石炭・鉄鋼・港湾・鉄道)」が文化として認知されていくなか「文化としての炭鉱」を発信する拠点となることを期待したいと思います。

 

今回はここまで。