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短距離を「ゆっくり走る」トレーニングは万人に効果があるのか

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caution!

本稿は私見が含まれた記事です。

かつて短距離走のトレーニングは「速いほど良い」とされていました。

試合本番は全力で走りますし、そもそもトレーニング効果は刺激への順応ですから「速く走りたければ速く走るトレーニングをする」のは理にかなっているように思えます。ところが近年「敢えてゆっくり走る」トレーニングが話題となっています。

今回はこの「ゆっくり走るトレーニング」の話題です。

概要

短距離走の常識からは離れているように思える「ゆっくり走るトレーニング」ですが、以前より海外の一部チームではそのような取り組みをしているとの情報はありました。

国内でこのトレーニングの認知度が高まったのは、2019年に日本人3人目の9秒台をマークした小池選手の存在が大きいでしょう。「全力疾走禁止」「マックスで95%」「6割程度で走る練習を繰り返す」といったトレーニングで、学生時代の自己記録を0.3秒以上も更新してしまいました。曰く、速い動きの中では誤魔化しがちな正しい接地や身体の動きを定着させる狙いがあるそうです。

この影響からか最近は一般の短距離選手でも、ゆったり目のイーブン走を取り入れる選手が増えてきたように思えます。

研究紹介

今回は日本コーチング学会のコーチング学研究26巻第2号より「パフォーマンスレベルの違いが主観的努力度と疾走動作の関連性に及ぼす影響」をご紹介したいと思います。

対象

大学陸上部15名を100m走のタイムで上位・下位に群分けしています。上位群で10秒台相当、下位群で11秒台前半相当といった分かれ方です。

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研究の内容

被験者は前半40mを加速区間、後半10mを維持区間とした50m走を60、70、80、90、100%の努力度で走り、その40-50mの維持区間が撮影し分析を行っています。分析はピッチ(秒間の歩数)、ストライド(歩幅)、接地期及び滞空期の下肢の関節角度を対象としています。

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結果

被験者全体の傾向として、努力度が低下するにつれピッチが低下し、それに伴う疾走速度の低下が観測されました。また、努力度を大きく低下させた際には以下のような疾走動作の変容が見られたとのことです。

・離地後の引き付け動作が遅くなる

・接地前の下腿の振り出しが大きくなる

一方、下位群に特徴的な変容も見られました。以下の表は努力度100%時の疾走速度を基準とした相対値ですが、下位群は努力度が下がるにつれガクッとスピードが落ちることがわかります。

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これについては、下位群は努力度が低下するにつれ脚の後方スイング速度が著しく低下したことが原因と考察されています。

対空時間についても下位群は相対的な対空時間が長く、いわゆる「間延び」傾向が見られます。

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これらの結果を受け、下位群のスプリントトレーニングについて次のように考察されています。

パフォーマンスレベルの低い選手では,努力度を80%まで低下させたスプリント走が,脚の後方スイング速度および接地時間が著しく変化せず,全力疾走時の疾走動作を維持しながらトレーニングを行うことができる下限であると考えられる.

しかし,70%以下の努力度,とりわけ努力度60%時では,接地期の膝関節角度の変化量が著しく 大きい疾走動作となり,全力疾走時のものとは大きく異なってしまう可能性がある.

したがって,パフォーマンスレベルの低い選手が70%以下の努力度でスプリントトレーニングを行う際は,接地期の膝関節の屈伸動作が大きくならないよう留意する必要があると考えられる.

一方、上位群については努力度を60%まで低下させても疾走動作を維持できるとの考察です。 

パフォーマンスレベルの高い選手は,努力度を60%まで低下させても,接地期に関して は全力疾走時の疾走動作を維持しながらトレーニングを遂行できると考えられる.

下位群のトレーニングについては更に示唆が加えられています。

下位群では,努力度90%から全力疾走にかけては,接地期の膝関節の伸展が大きくなり,そのために疾走速度の増加は合理的なキック動作によるものではなかった.

つまり,下位群の疾走動作は,全力疾走時よりも努力度 90%時の方が膝関節の伸展が抑えられ,疾走速度獲得には合理的となっている可能性がある.

したがって下位群では,90%の努力度でのスプリントトレーニングが合理的なキック動作を身につけ,パフォーマンスを向上させる有効なトレーニング方法となる可能性が示唆された.

まとめ 

・ゆっくり走るトレーニングは比較的レベルの高い選手向けかもしれない

・下位群は努力度90%でのトレーニングがパフォーマンスを向上させる可能性がある

今回ご紹介した研究はこのような結果になりましたが、10秒台相当の走力を持っていても膝伸展のパワーで押し切っている選手は「ゆっくり走る」トレーニングはマッチしないと思います。少なくとも股関節伸展による合理的なキック動作を習得していることが前提でしょう。

また、今回のケースはショートダッシュかつ限定的なシチュエーションです。主観的努力度ではなく機械的なタイム設定やロングスプリントといった場面設定ではどうかは分かりません。やはりトレーニングの強度設定は永遠の課題です。

 

今回はここまで。