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博物館網走監獄に行ってきたので所要時間や個人的見所など好き勝手書く

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どうも、森です。

重ね重ねスポット系は死ぬほどアクセスがないのですが、せっかく行ってきたので書いてみたいと思います。

サジェストには「心霊」が出てきましたが、心霊現象などは一切ありませんでしたのでご安心を。笑

 

オホーツク海に面した寒冷地、網走。

かつてここには「寒獄」とも呼ばれた収監施設がありました。

今回はその旧構築物を展示した博物館「網走監獄」を訪ねてみました。

概要

明治23(1890)年の春、当時の人口わずか631人の小さな漁村だった網走に1200名もの囚人と看守173名がやってきました。

北海道開拓に従事させるために全国から連れてこられた囚人たちです。

当時の釧路集治監の外役所として設置された網走監獄ですが、時代を経て昭和48(1973)年に改築計画が公表されました。

貴重な建築物が失われることを憂慮した網走新聞社社主の佐藤 久 氏が、刑務所建築物の移築保存を提唱。

関係機関の協力もあり財団法人が設立され、昭和58(1983)年に博物館「網走監獄」が開館しました。

アクセス・営業時間など

営業時間:8:30〜18:00(5〜9月)

     9:00〜17:00(10〜4月)

定休日:年中無休

入場料:大人1,080円、大学・高校生750円、小・中学生540円

インターネット割引もあります。

網走市の中心市街から5キロほど、車で10分ほどの位置にあります。

広い無料駐車場がありますので、車で行くのに全く問題はないと思います。

網走は自転車界隈が活発な地域ですので、春〜秋の来訪時はレンタルサイクルを利用して行ってみても良いかもしれませんね。

所要時間

どれだけジックリ見るかによりますが、今回ノンストップで見ても丸2時間かかりました。1時間半くらいだと完全に駆け足になると思います。

飲食やお土産を買ったりするなら3時間は見ておくべきでしょう。

けっこう歩くのでデートスポットには不向きかもしれません。笑

館内を散策してみる

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▲受付で入場券をもらうものの、使うシーンはない

とにかく敷地が広い。公式サイトには敷地面積が東京ドーム3.5個分と余計分からなくなるような表現で書かれていますが、とにかく広いです。

案内板をちゃんと見て、おおむね順路通り進んでいった方が良いと思います。

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▲案内表示・説明表示ともに細かく書かれている

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正門から入り、まず目に入るのは旧網走監獄庁舎でしょうか。

休憩所やお土産屋もありますので、集団で来た場合ここが拠点になると思います。

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▲一見洋風だが、屋根の造りなどは和。和洋折衷の「擬洋風建築」

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▲土産屋自体はゲート外にもあるので、退場後に買い忘れに気づいても大丈夫

ゴールデンカムイとのコラボ(?)展示もありました。

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▲実はゴールデンカムイ観てないんですよね〜

ゼーレ会議のモノリスっぽい説明板に北海道内各所の監獄について概要が書かれています。

ちなみに網走監獄についての説明は他にも館内施設の各所で見ることができますので、ここは流し読みでもOK。

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▲地図もあって位置関係がわかりやすい

過酷な生活

館内各所には囚人を模した人形があり、当時の生活ぶりなどを知ることができます。

目に付くのはやはりその過酷さです。

例えば日帰りできない作業に従事する際は「休泊所」という仮小屋で寝泊まりするわけですが、コレがまたすごい。

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▲ポリンキーのような形

建物に入ると、すし詰め状態の囚人たちがお出迎え。

これがバイオハザードだったら何体か起き上がって襲ってくるポイントです。

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▲いびきのうるさい奴とかリンチされそう

枕は丸太製。朝はこの丸太を文字通り「叩き」起こされたそうです。

さながら野戦病院のような様相ですが、ノミやシラミ、病気も流行りやすい環境だったのは想像に難くありません。

作業が終われば休泊所を解体し、次の現場へ。囚人たちの心境はいかほどだったでしょう。

死の突貫工事

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▲囚人は悪人だし穀潰しだから苦役に従事させちまおうという理論

網走監獄に収監された囚人の労務の中で、最も大きなものは網走から旭川までの中央道路開削でしょう。

162.7kmの中央道路を約8ヶ月という超突貫工事により211名が死亡。看守にも犠牲者が出たそうです。

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▲途方もない距離

平均すると1日の距離は700m弱。ということは、1日約1名が亡くなったということです。
栄養失調や傷病者も大量に出たそうで、北海道の集治監全体で約3000名の犠牲者が出たのだとか。 

個人的見所

ちょっと暗い話が多くなりましたが、館内では穏やかなひとときを過ごす囚人たちの姿や脱獄王の脱獄シーンを見ることができます。

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▲小豆を選別?する囚人たち

今回はちょっとシュールな展示3点をご紹介したいと思います。

脱獄王・白鳥 由栄

構内奥に立地する「五翼放射状平屋舎房」には「昭和の脱獄王」白鳥 由栄の人形があります。

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▲舎房の全景。いわゆるパノプティコン型 

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▲舎房自体は代わり映えの無い構造といえる

脱獄王は第4舎房の奥の方にいます。

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これだけ見るとちょっとシュールですが、脱獄王は史実として網走刑務所からも脱獄しています。

驚くべきはその身体能力。漫画じみた伝承が残されています。

・身体の関節を外すことができ、頭さえ通れば狭い隙間を通ることができた

・健速であり、1日に120kmもの距離を走ることができた

・手錠の鎖を引きちぎる怪力の持ち主であり、手錠を4個破壊した記録がある

 

加えて房の鉄格子に味噌汁を吹きかけジワジワ腐食させネジを外したり、ちょっとした針金で手錠を解錠したりと頭も切れたようです。

世が世なら、日本を代表するアスリートになれたかもしれません。

どこかで見たような…

館内では食事を楽しむ囚人の姿もあります。

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▲意外と箸の持ち方が綺麗だったり

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▲この亀仙流のような服は囚人服。逃亡防止のため目立つ色なのだとか

ちょっと原人系の顔の囚人もいますが、ちょっとどこかで見たことがあるような顔立ちの囚人を発見しました。

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▲左前の彼に注目

んん〜?

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▲酔ったら公園で全裸になりそうな感じがする

いやコレはアウトじゃないですか?

場所が場所ですし、なにぶん囚人なので具体的に誰とは言えませんが、歌って踊る系の職業のあの人に似すぎでは…?

好き放題される顔無し達

房の奥の方には、取ってつけたような展示がいくつかあります。

そのうちの一角、予算の関係かのっぺらぼうの人形が何体かいるスペースがあります。

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▲服や装具の展示

「展示物に手を触れないで下さい」との注意書きがあるものの、どう考えても手の形がメチャクチャにされており非常にシュールです。

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▲この指はアカン

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▲指クチャクチャ

なんかグリードアイランド編のドッジボールで両指骨折したヒソカを彷彿とさせますね。 

北海道開拓の礎を感じられる場所

当時の囚人は、気骨ある士族出身の軍事犯や政治犯も多かったといいます。

明治時代になり、新政府と折り合いの悪かった旧体制側の士族も「厄介者」として収監されていたかもしれません。

北海道の開拓は、そういった囚人達の犠牲の上に成りました。

開拓の輝かしい面だけではない、ちょっとダークな面を感じられる場所でした。

 

今回はここまで。