どうも、森です。
今回はちょっと地味(?)なスポット記事です。
北海道開拓使が置かれてから150年。
意外と北海道は「北海道」としての歴史が浅い土地でもあります。
一方、先住民アイヌの人々は、17世紀ごろには既に北海道で文化圏を形成していたと考えられます。
最も顕著なのは地名でしょうか。「札幌」「富良野」をはじめ、道内の市町村のうち、実に8割ほどはアイヌ語の発音がもとになっているそうです。
今回はそんなアイヌの痕跡を見ることができる戦場跡「チョマトー」の記事です。
概要
「チョマトー(チヨマトウ)」はアイヌ語で「恐ろしい沼」「害を受ける沼」という意味だそうです。
この「トー(トウ)」というのは先日記事内でご紹介した「摩周湖(カムイトー)」と同じく「沼・湖」という意味があります。
何故このような物々しい名前が付いているかといいますと、200年ほど前にここでアイヌの戦いがあったとされているからです。
1800年頃(あるいはそれ以前)に北見アイヌ(一説には日高アイヌ。以下同じ)が宝物や美女を獲得すべく十勝アイヌのコタンを攻撃した。
当初は劣勢に立たされていた十勝アイヌが神に祈りを捧げると状況は変わり、北見アイヌはチョマトに退避する。北見アイヌはそこで水鳥を捕獲して空腹を満たしていると、十勝アイヌに包囲されており、逃げ場を失った北見アイヌは沼に飛び込んだ。沼が赤く見えるのはその時の戦士達の血が多く流れたからだという。
そのため『血で染まった沼チョマトー』とも云われ、漢字では「血妖魔沼」と表記し、「血妖魔沼戦没者慰霊碑」が建っている。
十勝地方に古くから伝わる伝説の中でも登場する史蹟が現存するのは数少なく、伝説の信憑性に疑義が唱えられてはいるが歴史的価値は高いと評価されている。
wikipedia より引用
「歴史的価値は高い」と評価されている割には度重なる開発・道路拡張の煽りを受け、現在はもともとの9割ほどが埋め立てられてしまったと聞きます。
本当に大規模な戦いがあったのか真偽のほどは定かではありませんが、この工事の際に人骨が発見されたとの話もあります。
アクセス
国道38号から北に入ってすぐの場所にあります。
市街地にありますので帯広市出身者も意外と知らなかったりします。灯台下暗し。
まぁ戦場跡なので観光スポットではありませんし、駅からは3km以上離れており徒歩圏内とは言い難い場所です。
チョマトー周辺を散策してみる
かつては中々の規模を誇った沼もこの通り、住宅街と一体化しています。
▲左の敷地内がチョマトー
▲不法投棄への注意喚起の看板とフェンスが目立つ
規模としては沼本体と敷地を含めても、隣に建っているパチンコ店の方が断然デカいくらい。
2004年の埋め立て前は「鬱蒼としていて不気味」「犬が近寄りたがらない」といった話もありましたが、今はすっかり拡張された道路に追いやられるようにポツンと存在しています。
▲戦没者慰霊牌
それでもなお、この場所に存在感があるのはロケーションの異質さでしょう。
何せ敷地内にひしめくように北門神社・愛馬神社・チヨマトウ神社の3つの神社が隣接しています。
▲チヨマトウ神社
「古来、日本の神道では湖沼を御神体と崇めてきた」との記載があります。
詳しい経緯はちょっとわかりませんが、戦没者の慰霊だけでなく地鎮の意味もあるのでしょうか。
▲探訪時の沼は渇水気味
▲水の流れがそんなにないのか、濁り気味の水質
探訪時に沼は渇水気味でしたが、水のある時期はもう少し水位があるようです。
ほんの200年前にココが真っ赤に染まるほどの大戦があったとは思えないほどの静けさです。
もうちょっと周辺を探索してみる
道路を挟んで向かい側には「チョマトー公園」なるものがあります。
何の変哲もない公園ですが、公園周辺の史跡を解説した看板があります。
▲拍子抜けするレベルで何にもない
▲「コタン」とはアイヌ語で部落、集落の意味
貴重なアイヌの遺跡のひとつ
北海道はけっこう遺跡に対してドライなところがありますので、このように一応キチンと保護されている場所はある意味貴重です。
もう当時の鬱蒼とした感じもありませんので、個人的には心霊スポット系のサイトにいつまでも掲載されているのはどうかな…と思っています。
車通りが若干ウルサイかもしれませんが、戦没された方々には安らかに眠っていただきたいですね。
今回はここまで。