どうも、森です。
今回は短距離走と走り込みについての話題です。
短距離走と走り込み
突然ですが、世の中には「大昔から議論されているけれど、未だ決着していないもの」があります。宇宙の起源にまつわる説や進化論などがそうですが、陸上短距離走の界隈では「ウェイトトレーニング」と「走り込み」が二大巨頭といえます。
どちらも「必要か不要か」もしくは「どのくらいの量が必要か」といった部分が議論の対象となっています。私がインターネットで陸上競技関係のサイトを見出したのは15年以上前ですが、少なくとも当時からこの話題は議論の対象でした。特に「走り込み」が必要か否かについては、その時々で優勢劣勢はありますが、未だ完全決着する気配はありません。
なぜ意見が割れるのか
そもそも、何故このようなシンプルな命題がいつまでも決着しないのでしょうか。おおよそ下記の2点が原因と考えています。
・各々が想定する前提条件が違う
・それぞれの派閥で成功例がある
一口に「走り込み」といっても具体的な数値上の定義があるわけではありません。普通校の走り込みメニューが強豪校にとっての通常メニューだった、というのは十分考えられることです。某スカイブルーの大学(今はスカイブルーではありませんが)卒の友人と練習量の話になり「200+100の3セットとか走り込みがキツくてさ〜」というと「え、それ結構フツーのメニューじゃない?」と返され愕然としたことがあります。
また、この問題に厄介な点は「それぞれのアプローチで成功した選手がいる」 ことでしょう。2003年の世界選手権200mで銅メダルを獲得した末續選手などは全盛時に想像を絶するレベルの走り込みを消化したといいますし、同じく200mのトップ選手である藤光選手は本数を追った走り込みを殆どしていないと公言しています。
こうした例が無数にある限り、 現時点で完全決着は難しいでしょう。
走り込み肯定派・否定派の意見
比較のため、走り込みというものに対して肯定的な意見と否定的な意見を並べてみます。
【肯定派】
・速く走るための土台は走って作るのが良い
・反復の中でしか掴めない感覚もある
・深層筋群などじっくり鍛えられる部位もある
【否定派】
・速く走るのが目的なのでスピードを落とす意味がない
・全速で人間は何本も走れない
・速筋を動員するには高負荷低回数にすべき
ざっくり書きましたので多少の抜けはあるでしょうが、大まかにはこのような感じではないでしょうか。どちらも成功例がある以上、どちらが全面的に正解、不正解ということはありません。
ただ、私個人としては走り込みに対しては中庸的な考えですが「量を追う時期」を設けることについては肯定側です。
「量を追う時期を設ける」とは…
一例として、元100m日本記録保持者の伊東 浩司 氏、400m日本記録保持者の高野 進 氏の「トレーニング量に関する考え方」を引用します。
(前略)I氏は自身の著書(伊東,2003)の中で、「これは私の考えで、否定されることも多いのだが、量を追う時期は必ず必要だと思っている。一年間の流れとすれば、冬場に量を追ってシーズンとともに質へ移行し、休んで、また夏場に量を増やす。これが高校、大学の時期に求められるような気がしている。」と述べている。
さらに別の著書(伊東,2004)では 「僕は、競技者として、練習の『量』をこなすべき時期が必ずあると思っているんです。基礎の積み重ねが陸上では一番ものを言うと思いますし、どこで競技者としてのピークを持ってくるかを考えて、 たっぷり量をこなす時期を作るわけです。
スポーツパフォーマンス研究,1,90-93,2009 より引用
(前略)T氏の大学・大学院時代のコーチであるM氏とは同窓の先輩・後輩の中でもあり、よく話しをした。その中でM氏が「Tが学生の頃はムチャクチャ走らせて、長いことかかって400mで44秒台が出せた。今の学生にはあれほど走らせなくても45秒台はすぐに出させることが出来るが、それから先は伸びない。やっぱり量をこなす時期を作らないとダメダ。」と言われたことは忘れられない一言であった。しかし、彼が25歳の冬期(1987年)に沖縄で一緒に合宿を行ったが、質へのトレーニングに変わっていた。
(中略)
これは、既に集中的なトレーニング量の確保をする時期を終えていたのであろう。
スポーツパフォーマンス研究,1,90-93,2009 より引用
【参考リンク:陸上競技・短距離走のトレーニングで思うこと〜一流選手に観られるトレーニング事例の分析から〜】
イニシャルで名前が隠し切れていない感が凄いですが、伊東先生、高野先生、宮川先生(たぶんM氏は宮川千秋先生だと思います)ともに「量を追う時期」を設けることについては肯定的です。
走り込みは部分的に肯定するけれど…
前述の通り、私自身は「量を追う時期」を設けることについては肯定側です。とはいえ、ご紹介した例はトップスプリンターで整った環境でトレーニングをしていた方の意見です。
もちろん、競技レベルや年齢などに応じてトレーニング量は調節していくべきです。ただ、私個人の結論としては「一般競技者は量を追う時期を早めに切り上げても良い」と思っています。
実際、Twitterなどで繋がりのある社会人スプリンターの方で学生時代の自己ベストを更新した方々からは「死ぬほど走り込んでベストを更新しました」という意見は殆ど聞こえてきません。一般の社会人スプリンターが自己ベストを追うためには、量から移行し相応の効率を求めなくてはいけないことがわかります。
…と、いうことで後編は「どこまで本数を削っても大丈夫なのか」について書きたいと思います。笑
【11/30更新】後編記事できました
今回はここまで。